イタリアで食べた玉ねぎの卵焼き(フリッタータ)の衝撃は今でも鮮明に覚えている。
もう15年以上も前のこと。
リストランテやトラットリアの味ではなく、家庭の味を知りたいと思った頃のこと。
イタリア家庭料理を最初に学んだのは、ローマの空港近くのソムリエをする30代の女性とそのお母さんがするB&Bでの台所。
玉ねぎを炒めただけのものを流しいれて焼いた(ただの)卵焼きがそれはそれは美味しかった。
甘さ、コクが凝縮した味わい、噛みしめるたびに玉ねぎの水分が溢れる瑞々しさに、動揺した。
ホテルに戻り、持ち帰った卵焼きをもう一度食べてみたが、昨日の衝撃は夢ではなく二度ショックを受けた。
玉ねぎを炒めた料理は、世界各地で見かける。
「玉ねぎはあめ色にすると美味しい」と日本では言われることがある。
わたしもイタリアに行くまでそう信じて疑わなかった。(何か確信があったわけではないけれど)
でも、イタリアの台所では玉ねぎをあめ色に炒めた料理はない。
玉ねぎだけではなく、焦げを旨みとする概念がないようだ。
玉ねぎの持つ大きな力を感じてもらうために、6月は玉ねぎの炒め方をじっくりみていただいた。
野菜も油も高温になると焦げてしまうから、じっくりゆっくり、火にかけてゆく。
とろりとしてきたころ、味見をしてみる。
ここで確認したいのは、「旨みが引き出されたか」ということ。
「甘味」と「旨味」は似てるようで別の味覚。
意識を舌に集中させ、玉ねぎの旨みを感じてみる。
ここで火を止めるのか、もう少し炒めるのか、自分と玉ねぎで話し合ってみる。
こうしてできた玉ねぎの「だし」は、たとえば卵とあわせたとしてもしっかりとした存在感を残す。
スープや、ドレッシングに使ったり、旨みとしてコンソメやブイヨン、甘みとしてはちみつやみりんの代わりにもなる。
イタリア家庭料理には、いわゆる「だし」を使った料理がとても少ない。
それは、野菜の旨みを引き出す方法を知っているから。
これほど強い玉ねぎの「だし」を、チキンスープやビーフコンソメで味を調える必要がない。
イタリア家庭のこのやり方を私たちの台所にも取り入れることで和食でも素材の味がよくわかるようになり、なにより料理が簡単になる。
私の友人で岡山県北蒜山にて農業兼食事処を営む 蒜山耕藝のえりかさんが、
「農家になり、出汁を使わない野菜だけのお味噌汁がとても愛おしい。その味を知っているからこそ鰹や昆布で出汁を取った味噌汁が以前より美味しく感謝できる。」
とよく言っているのに、私は頷くばかりだ。
2018年6月
・新玉ねぎのポタージュスープ
・新玉ねぎのドレッシング
・ズッキーニのリピエニ(新玉ねぎ・シーフード)
・新人参のグラッセ 胡桃和え
・イタリア豆のサラダ カレー風味
・瀬戸内 蛸とトマトのリングイネ
・バナナのオリーブオイルケーキ