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繋がる命をいただく。

今年もまた、かぼちゃの種取り中。

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蒜山耕藝の二人が育てるかぼちゃ。

品種はたしか、東京かぼちゃ。

でも今は蒜山の子だから、岡山、いや蒜山かぼちゃかな。(私たちみたいだ。)

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自然界では〈命がつながる〉ということは当然のことなのだけれど、どうやら最近はそういうわけにもいかないことが多いらしい。

と聞いたのは、もうずいぶん前。

今は、人間がうまく改良した種がお店で売っているのでそれを毎年買うのが主流のよう。

種取りをして、また来年蒔くという人は少ない。

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どうしてかというと、種取りは手間も時間も場所も贅沢にかかる作業だから。

かぼちゃはむしろ簡単な方だ。(だから私が手伝える。)

茄子も大根も、ほかの野菜は種取りがもっと大変。

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自然界の法則ではロボットのような〈同じ形の野菜〉とか、〈同じようにぐんぐん育つ〉ということは普通ではないから、

種をついで育つ「在来種の野菜」が大量生産・大量流通社会で適合するのはとても難しい。

(スーパーで不揃いの大根を販売することを想像するとわかりやすいでしょ?)

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野菜にだって命があって、その命を私たち人間もいただく。

繋がらない、繋がる必要のない命が私たちの体になるという不自然を、これからの世代はしっかり考えていかなくてはいけないと思う。

私にとって、その第一歩が命がつながる野菜を可能な限り選択するということ。

難しいことは考える必要もないし、負担に思う必要もない。

だって、命がつながる野菜は、本当に美味しいから。

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私は野菜を買っているだけだけど、

こうして毎年種を取り、

かぼちゃと向き合わせていただけることで、

かぼちゃの追熟加減とか、

種の乾かし方とか、

同じ畑で育ったかぼちゃでも個性があるんだとか、

本当にいろいろなことを学びつづけている。

私の隣にいる野菜たちは、私にとって畑そのもの。

直接的に農業をしていなくても、だれでも農と深くかかわることができる。

それが料理。

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昨日のかぼちゃの種。

美しく、健やかで、逞しい。

蒜山耕藝の絵里香さんが、〈早く土に返してみたい〉って言ってくれた。

想像すると本当にワクワクする。

かぼちゃと一緒に私も大きく成長していきたいと心から願う。